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鈴木沙友美さんに”同行ショッピング”をお願いしました

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10月1日にたいわひとの鈴木沙夕美さんのファッションたいわセッションを受けた私ですが(その時の様子はこちら)今日は彼女にお買い物同行をしていただく日でした☆

予定では、幸田町の革細工店・UGLYさん→蒲郡・ラスティックハウス→ツバメ舎→SUS などを予定していたのですが、UGLYさんへ行き、その隣のカフェ Ma.Ca.Riさんでランチ&セッション、という流れで1日が終わりました‼︎

前回のセッションでは、私が私らしく在れるように、苦手意識を克服し、揺るぎない自分への信頼を持つことがテーマとして腑に落ちました。

そこで、オーダーメイドのバッグをUGLYさんで作ろうという話になり、今日のお買い物同行では1番に行くことにしたのですが、この約1ヶ月間の間に私自身様々な変化と気づきの連続で、苦手意識がかなり払拭できたので、今はオーダーバッグではなく、時計のベルト交換と、ネックレスのチェーンを革紐に変えてもらうことをUGLYさんにお願いしようと思ったのです。

が、肝心のその2つを忘れて出かけてしまい・・・(笑)
他に沙友美ちゃんに見せたいモノをいろいろ持って行ったので、それに気を取られて肝心なモノをお忘れ。忘れないようにテーブルに出しておいたのに、です!

でもその理由が後ほどわかったのです。
入店してUGLYさんと沙友美ちゃんと、店頭の商品を見ながらいろいろお話しするうちに、「手帳カバーと名刺ケースが欲しい」と気づいたんです。

手帳カバーは布で手作りしたお気に入り品を2年間使っていますが、皮になったらグレードアップ感が出てときめく♡し、名刺ケースは今使っているモノもお気に入りだけど、ちょっと小ぶりで使い勝手の悪さを感じてたのです。

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こんな乙女心くすぐるピンク系の作品を見たら”ときめきキュンキュン♡”になり、オーダーすることになりました!
オーダーメイドの小物、初です☆

皮の色、素材、サイズや中の仕様など、細かなところまで丁寧にヒアリングしていただけて、安心してお願いすることができました。まだ32歳というUGLYさん、やわらかでかわいらしい雰囲気の反面、とっても丁寧なお仕事をされていて、すごいなぁと尊敬の眼差しでじろじろ見ちゃいました(笑)

dans les mimosasと刻印も入れてもらうことになり、さらにときめきUP☆
出来上がりは1ヶ月後の予定ですが、自分自身へのクリスマスプレゼントにしたので、納期はゆっくりで良いですとお伝えしました。他にお急ぎの方を優先してあげて欲しいです。

作り手の見えるモノを持って暮らせる喜びを体験させてくれた沙友美ちゃんに感謝の気持ちでいっぱいでした♡
ありがとうございます。


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続いて、MaCaRiさんでランチ。今日はキーマカレーでした☆1つ1つ手のこもったお料理で、すっごくおいしかったです。
ママさんは算命学の八雲あかねさんを通じて知り合い、自分のもつ星の素質のままに生きていらっしゃるすごくチャーミングなマダムで、ご縁をいただけて本当にうれしいです。
12月で閉店されるので、その前に味わえて本当に良かったです。居心地が良いので、ぜひ行って欲しいお店です。

ランチを食べながら沙友美ちゃんといろいろお話しをしたのですが、雑談のようでセッション。
「あのね・・・友達としては言いにくいことだけど、お仕事なので言わせてもらうね。えっと・・・」と神妙なお顔で話し始めるので不安でドキドキしたのですが、内容は「善水ちゃんは次は子どもたちと向き合わなければいけません」ということでした。






私自身も、まずは自分と向き合い、自分を大事に生きれるようになってきて、次に主人と向き合い、夫婦関係を円満にしてきたので、次は子どもと向き合う必要が出てきたなと重々感じて過ごしてきたここ2ヶ月だったので、沙友美ちゃんの言葉に「はい、いよいよそのステージに入りましたね!」と覚悟が決まりました。もっと奇想展開のことを言われるかとヒヤヒヤしたけど大丈夫でした(笑)

正直、私は子どもが苦手・・・どころか、嫌いだったのです。
かわいいなと思う瞬間瞬間はあるし、自分の子は愛おしいし、居なくなったら困るし、泣くし、大事だけど、でも自分の方が大事…。もう嘘はつかず正直に書きます。

子どもがいると行動範囲が制限されるし、自由にはできないことも多いし、お金もかかるし、自分一人の身で自由に過ごせた独身時代や子どものいない夫婦生活の頃と比べるとやっぱり不自由。
そんな生活を想像すると嫌だなと思っていたので、結婚してから3年半、子どものいない生活を過ごしました。

妊娠中も、赤ちゃんが待ち遠しい気持ちはあまりなくて、「生まれるのが楽しみですね!」と言われるたびに、反発したい気持ちを感じ、「なんで私の気持ちをわかってくれないんだ!無神経な人め!」と相手を責めたくなる気持ちが湧いたり、そんなことを思う自分に嫌悪感を感じたり、お腹の子を想えない自分をダメな人間だと思えたりと、本当に苦しかったのです。
だから、前置胎盤になって2ヶ月大学病院で入院,床上安静生活となり、お腹のこと静かに向き合って暮らさないといけなくなったのではないかと、振り返って思うのです。赤ちゃんが「もっと私を見て」と、言ってくれてたように感じます。

生まれたら生まれたで、かわいいけど、猫のような可愛がり方をしてました。自分が構いたいときだけかまって、あとはしなきゃいけないお世話をして、それ以外はほかったらし・・・という感じ。

もちろん、預かってくれる身内もいないので、四六時中二人きりで過ごさなければならず、育児ノイローゼになったこともありました。
子どもを楽しませてあげたいと思う気持ちなんてほとんどなく、自分のしたいことのために連れ回したりして、いつも自分中心でした。
子どもには身体に良い安全な食べ物、発育に良い木のおもちゃ、着心地の良い綿の服など、良いものを与えるようにしてきました。手作りの服やおもちゃを与えたりもしたけど、それも子どものためとか言いながらも、それをしたい自分が楽しんでるだけでした。だから「いいお母さんね」と言われても、内心「ちがう・・・」と、落ち込んでいました。
娘はきっと、そんなことよりも、「私を純粋に見て」と思っていたと思います。

入園して日中手が離れると、今度は整理収納の仕事のことで奮闘が始まり、自分との戦い生活がスタートしました。
資格を取ったとはいえ、半人前の自分自身も整理収納を続けながらの身でしたし、個人事業なんて未経験だし、仕事経験も浅いし、畠違いだったし(だって看護師だったもんね)、それに対人恐怖や不安症、心配性の気もあったし、20代にはうつや不安神経症になったこともあったしで、感情の起伏が激しく、平穏に生きて暮らすことですらままならない私でしたので、働いて少しでもお金を稼がないといけないことすら受け入れがたいことでした。

たまたま入れたい保育園が、幼稚園ではなく保育園であったために、働かなければいけない状況でしたし、主人にも働いて少しでも稼いで欲しいと言われていたので、やるしかなかったんですよね。(でもそれが結果的に良かったと思っています。)

入園したらしたで、いろいろありました。
さくらさくらんぼ保育の系列だったこともあり、親が子どもに関わる時間を多く取らなければならない保育で、その親の仕事量や割かなければいけないエネルギー量の多さを体験してはじめてわかる大変さがとても多く、年齢が上がるにつれて親も子も課題が大きくなり、私は悲鳴をあげました。
娘のためにと思ってその保育園を選んだつもりでいたけれど、本当の本当は、娘のためにというのではなく、私がその保育園で娘を育てたかっただけだと、ある時自分自信を認めることができたのです。

確かに、安心して食べさせられる給食やおやつを作ってくれて、キャラクターや電子音のない生活、木の良質なおもちゃ、自然とのふれあい、本物の体験、異年齢との交流、みんなで育ちあうという考え方、将来の主権者を育てるという、自分らしく生きられる子を育てるという園のポリシー、どれもこれも、好きでした。

でも、その保育を支えるために、親も度々保育活動に参加したり、資金を作るために大きな活動を企画実行したり、手の込んだ行事を行うために各行事の実行委員を掛け持ちしなければならなかったりと、仕事と両立することが難しいほど、保育園に割くエネルギーが大きくなりました。もはや、生活の中心が保育園というところでしたので、自分がヒーヒーになって、子どもに伊らいらして当たってしまうことが増えました。

子供もそれを感じるのでしょう、以前できたことをやれなくなったり、人見知りが増したり、やりたくないことが増えたり、おねしょがひどくなったり、いろんなサインを出してくれました。
その最中は余裕がなかったので、そんな娘にますます苛立ち、ヒステリックになったものです。

頑張っても頑張っても、子供は褒められるけど大人は褒められない、もっともっとと、次の課題が出される状況が苦しくなり、年長期に上がる時、転園しました。

私はフリーランスとして自分と常に向き合いながら、自分というライバルと戦いながら一匹狼で走っていかなければならない身なので、走りを妨げるものは、手放さなければいけないことを、その時気付かされました。
子供のことなので、自分の都合で状況を変えてしまうことに身勝手さも感じましたが、そこは家族でよく話し合い、子供の意見も尊重し、慎重に進めたのでとてもうまくいきました。結果的に転園したらかぞくみんながハッピーな結果となり、とても良かったと思っています。もちろん、食や保育環境の面では目をつむっていることもありますが、自分の中の優先順位を考えると、そこは手放せたのです。

そんなプロセスを経てきた私と子供の世界。
6歳になり、だんだんと自分の世界、素質を発揮しだした今、自分の所有物的な関わり方ではなく、ひとりの個として関わっていかなければいけない時期に入ってきたことを考えるようになったんですね。
なかなか二人目が授からないので、娘とじっくり向き合う必要があったことも必然。

二人目も、欲しいというより、「娘が一人っ子では寂しかも」「自分が歳をとった時、子供が複数いた方が楽しそう」という気持ちでいるだけで、純粋に赤ちゃんが欲しいとは思ったことがない・・・。
今手に入れた昼間の自由、軌道に乗り始めた仕事、大人仕様になってきているインテリア、子育てが楽になってきた娘の成長などなど、落ち着いてきている今の暮らしにまたベビーちゃんが加わり心機一転になるかと思うと、考えちゃいます。

でも年の差兄弟を育ててる人にいいお話を聞いたり、たいわ仲間から枠の外にある楽しさに気づかせてもらうたび、こんな私の元にきてくれる子がいるなら産みたいという気持ちにもなってきています。

実は2年ほど前から二人目は男の子が来ると言われています。見えない世界が見えるエンジェル京子さんに言われたのをはじめに、その後も夢に出てきたり、たいわでイメージが見えたり、ある時は声がしたり、思い起こせば数年前ヒプノセラピーで見えた映像に映る男の子とこもそうだったとつながりました。

八雲あかねさんにみていただいた2016年のソーラーリターンにも家族がテーマ、二人目の可能性も高いと星が示していたし、たいわの三角由恵師匠のセッションでも言われています。
ただ、私が二人目を欲しい、育てたいという気持ちになっていないので、降りてこられないのだと思います。
池川明先生の書籍を読んだり「かみさまとのやくそく」という映画を見られた方はお分かりですよね。

未来の息子がお空から私のことを笑って見てるんだろうなと思うこの1年で、そろそろ決意し、息子が降りてこられるようにするためにも、自分の子供、家族というものとしっかりと向き合わなければと思っていたのです。

なので、今日の沙友美ちゃんの言葉は図星で、確信に突き刺された気持ちです。
そのおかげで「子供としっかり向き合います!」と宣言することができました。

そうなると面白いものです。
日曜日にたいわ仲間約20人が集まる飲み会に行く予定だったのに、主人に娘を預けられなくなり、欠席する羽目になりました。仲間とわいわい飲んではしゃぐのではなく、子供との時間をしっかり楽しみなさいってことですね。
それに、わいわいはしゃいだりお互いの変化を喜びあってる場合じゃなくて、ライバルは自分なんだから自分と呑んでればいいと言われたような気持ちになりました。
会いたい人とはまた時間を作って会えばいいのですから、無理しないことですね。

こんな私的なことを不特定多数の読むブログに書くことはとても勇気のいることですし、内容が内容なので批判されることも重々承知ですが、それでもこれが河合善水である事実。この私だから私が経験してきている整理収納が話せるわけですし、この私が自分を責めずに自分らしく生きられるようになってきている姿で誰かが勇気をもらえるのなら、私は語らなければいけないんじゃないかと、書くことにしました。

今日ここに書いた過去のことが、私と娘、未来の子供達が笑ってくれるような生き方をしていこうと決めました。
今在る家族とモノ、コトを、大切にしていきます。









by danslesmimosas | 2015-10-29 17:09 | mimosasの日常

元精神科看護師・うつ・引きこもり主婦を経て、2013年より整理収納アドバイザーとして活動。片づけや様々な悩みを抱える100名以上の受講生に寄り添い続ける中で、望みの人生に向かうには「脳の活性が不可欠」と知る。現在は心のとお部屋の片づけコンサルタントとして活動中。


by 河合善水(よしみ)